「内定はお祈りの対極としてではなく、その一部として存在する。」
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その日、エレベーターは極めて傲慢な速度で上昇を続けていた。その「傲慢さ」という塊の中で僕は目的地である「3」のボタンを眺めながら三年前の九月十八日に三番目に寝た女の子のことを考えていた。
そして受付についた僕は今朝スターバックスで注文したコーヒーについて、なぜオリジナルブレンドにしてしまったのか、本当はコロンビアの酸味にナッツを合わせるべきでなかったのかと深く後悔をしていた。
「今日説明会参加の学生ですか?お名前は何ていうんですか?」隣に座っていた就活生の制服ともいえる黒いスーツを着させられた男子学生が僕に聞いてきた。
「名乗る程の名前じゃないよ。実際対した名前じゃないんだ。僕の名前になんの意味なんてない。生まれた街にだって3人はいた。」
「変わった人ですね。尖ってて面白いです!ところでこの企業のことってしっかり調べました?」これを尖っていると呼ぶのは、ハイロウズの「青春」の中で出てくる、つららだけだと思いながら僕は答えた。
「わからない。代わりに好きな小説の話ならできる。」僕はその質問を冷たくあしらった。なぜなら質問という皮をかぶった、自慢大会が繰り広げられることになるのを僕は知っていたのだ。
「ぼくは夏休みのプールのベンチで読む、恋人に捨てられ、気になる女性には見向きもされず、非モテな人生をおくる主人公のわたなべ君の成長が描かれているフジサワカズキの『ぼくは愛を証明しようと思う。』を出鱈目に開いて読むのがたまらなく好きなんだ。」
「やっぱり成長って大事ですよね!」おそらく音楽でいうならサビだけ聞くタイプの彼は「今日頑張りましょう」といって名刺を一枚置いていった。説明会で何を頑張るのか、いささか疑問ではあったが、それよりワンモアコーヒーで注文したコロンビアコーヒーに何味のスコーンを合わせるかを考えたかったのでぼくは会話を終わりにした。
「学生団体●●代表、将来起業予定、Instagramはこちら」
やれやれ。この時期になると全国の佐藤さんよりも多い数の学生団体の代表が世の中に生まれるらしい。また僕の知っている月が一つしかない世界とは名刺のルールが変わったのか、名刺には将来の予定まで書き込まれている。予定が名刺に書けるのであれば全てのサラリーマンの名刺にも「部長希望」「部長予定」とでも書き加えられることにしよう。
そして名刺に示された、日常をとらえた写真や動画をアートにして友達や家族と簡単にシェアできるサービスであるInstagramのアカウントを試しに覗いてみて、僕はたまらなく悲しくなった。
それは、代官山蔦屋書店とおぼしきところで撮影されており、ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則、経営者の条件が写真の左に、写真の右にはコロンビアコーヒーがグランデサイズで写りこんでいた。簡単な加工によりドラッカーの本の赤表紙が際立っている。オシャンティー。
が、問題はそこではない。
その写真の鏡越しには、僕が人生で始めて寝た、綺麗な耳の形をしたレイコが写り込んでいたのだ。レイコが先ほどの学生とともに起業準備中なのを知ったとき、僕の中で何かが損なわれてしまったのだ。
説明会中、僕の頭の中はレイコのことで満たされていて、仮に世界がひっくり返るような情報であっても僕の耳には入ってこなかった。しかし、僕の周りの多くの学生は大リーグで人気のボブルヘッドのように、それぞれのタイミングで大きく頷いていた。なかでも、1人の女子学生(耳の形はあまり綺麗ではない)はサマーソニックフェスティバルの最前列でヘドバンをするかのように激しく深く、そしてビートに乗ったうなずきを繰り返していた。
僕はボブルヘッド人形に囲まれながら、レイコのことを忘れるために、明日の朝も定刻通りに送られてくるであろう朝刊のことや、カリフラワーを美味しく茹でる方法について考えていた。
説明会の後、簡単に行ったディスカッションで同じグループになった同じ就活生からFacebookで友達になることを提案された。何でもFacebookフレンドが3,000人くらいいて、経営者とも友達になっているらしい。就活生が集まるイベントも主催しているそうだし、何よりも顔立ちが左右対称の西洋人のようだった。胸にはモンブランによく似たボールペンが備えられている。
僕はうんざりした気分で煙草を吸いながらその提案を断った。
友達の中にもカテゴリーが分類されていて「いいね!を押し合うくらいの関係」というカテゴリーがあったとしても、僕はそういった関係にそれほど魅力を感じないタイプの人間なのだ。僕は飲みそこねたコロンビアコーヒーを飲むために足早にオフィスを後にした。
「あなたとても変わっているわね。さっきのディスカッション、今日考えていたことはカリフラワーの茹で方って何よ?」
帰りにエレベーターでビルの下に降りようとすると(エレベーターは行きよりも傲慢さを失っていた)先ほどのヘドバンの女子学生に声をかけられた。
「わからない。それはきっとあまり上手く喋れないことなんだ。」僕は持参したブランディーが入ったタンブラーに熱い缶コーヒーを入れて飲みながら答えた。
「あなたは企業の説明会を受けにここに来たのよね?企業に入るために?」
「モノポリーをやるために来たわけではないよ。もちろん。それより君はヘドバンのように頷いていたから、君の首が心配だ。」
「ヘドバン?あなた頭おかしいんじゃないの?英語の仮定法がわかって、数列が理解できて、マルクスが読めて、なんでそんなことわかんないのよ?内定をとるために犠牲になっている私の首筋のことも考えてくれる?」
「つまり内定を取ること、それ自体が一つの目的だった。」「君のサラリーマンとしての資質は僕があと地球を一周回っても追いつきそうにない。自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ。」
「わかるような気がする。」
彼女はそう言ったが、僕自身その本当の意味が理解できたのは、ずっと後になってからの事だった。
その晩、僕はカシューナッツをつまみにオンザロックを一通り飲んだ後、彼女と寝た。
朝起きると彼女は昨日の企業から「お会いしたい」とメールが入っていたからと再びユニホームに身を包み僕のもとからいなくなった。一方、ぼくのメールボックスに入っていたのはFacebookフレンドが3,000人いる彼からの就活支援セミナーの誘いだけだった。
ぼくはたまらなく濃いコーヒーを3杯いれて空を見上げた。
空には太陽が2つ浮かんでいた。
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意識の高いデブさんへのオマージュを込めて。
もしも村上春樹が意識の高いデブで、食レポを書いたら(焼肉編)
この本も相当おもしろい。